子連れ無職の生き方

40歳の無職既婚子有り男が生きている様子を書きます

美味い話は無い(失業手当)

 現在失業中で、失業手当の給付がまだ残ってるのでそれを受け取りつつ暮らしてる。失業手当を受け取れる期間は限られていて、失業後1年間だ。その間にちょっと働いたりすると給付を受けられなかったりする。失業手当を受け取れる日数は雇用保険に入っていた年数で変わる。俺は120日の給付日数がある。しかし、途中働いたせいで90日も受け取れない予定になっている。

 先月都内に戻ってから精神科に通院している。鬱のためだ。医師の診断でうつ病とされてからもう20年経っているがいまだにうつ病だ。去年の夏で投薬を一旦終了したんだけれど、状態がかなり悪化していると感じたので再度投薬を開始した。(夜中に逃避や自殺について真剣に考えていた)精神科で医師に言われた、「いま無職ということでしたが、ハローワークで傷病手当を受け取ることが出来ます。紙を書けば受領できますのでどうですか。経済的に困窮させないのも治療の一環なので。」傷病手当?調べてみたところ病気などで働けない人が受け取れる手当とある。最長で18ヶ月延長できると書いてある。1年半もの間、給付を受けられるのだろうか。状態が悪いのは確かなので、これが事実なら思い切って休んでしまうのも手だ。ハローワークへ確認しよう。

 そんなわけで3歳の子どもを連れて新宿ハローワークまで行ってきました。いやー、大変だった。中央快速の方に乗ったんだけど結構混んでて、子どもが怖がっちゃって。俺もほぼ1年ぶりの通勤列車だから、みんな何で殺気立ってるんだろうと緊張しちゃってね。駅で降りてからも大変だった。駅を歩いてる人たち、皆すげえ急いでるのね。子どもとか視界に入ってないのか真っ直ぐ突っ込んで来る。子どもが轢かれないようにバスケでディフェンスからボールを守るような姿勢で子どもを通行人から守らなきゃいけない。で、何とか西新宿のハロワまで来た。結論から言えば俺の想像は間違いだった。傷病手当だろうが給付を受けられるのは失業後1年まで。つまりそもそもの失業手当を受け取りきれない俺は、傷病手当をもらっても得しない、どっちでも一緒ということだ。まあでも子連れで新宿歩くのも悪くないよ。子育て大変だ、イライラするって聞くけど、それはスケジュールがきっちり決まってる場合の話なんだよね。スケジュールがとくに無ければ子どもと同じペースで行動できる。いくらでも寄り道して良い。そんな状態なら子育ては悪くない。子連れの外出は発見に満ちている。傷病手当もらえるならこんな生活をあと1年半してみたかったな。

喫茶店経営って楽しいかな

 気になっていた喫茶店へ行った。西荻窪のJUHAという店だ。素晴らしい空間、雰囲気のいい音楽がレコードで掛かっていて、それを店主が変える。雰囲気が一変するようなレコード。アコーディオンのアルバム。空間が変わる。俺は音楽が好きでライブが好きなので、この感じすごく面白かった。世の中にこんな喫茶店があったとは。珈琲も美味いし本がいろいろ置いてあって読むことができる。トイレまで面白かった。一度の訪問ですっかりファンになった。また行きたい。

 あまりにも良い店だったので喫茶店の経営について考えてしまった。このJUHAの場合、営業時間は日に8時間ほど、定休日は週に2度だ。客席は2人掛けテーブルが4、カウンターが3人。客は60分程度で捌けていく感じだろうか。かなりの人気店のようで席が埋まっており客を何度も断っていた。(土日祝に限った話かもしれない。)1日あたりの客数は60人ぐらいか。客単価は、メニューや客の注文具合から1,000円程度としよう。飲食店における原価率は通常3割程度らしいのでそのまま適用する。

 以上の条件だと、日に6万の売り上げ、月に120万円、年に1,440万円、利益は年1,000万円。実際には短縮営業の日もあるし、週に3日休むこともあるだろう。年末年始なども休みだろう。売1,200万、利800万がせいぜいだろうか。実際にはもう少し低そう。

 小規模個人店としては最高レベルの成功を収めているように見えるが、これぐらいなんだなぁと思った。夫婦でやられているということだし、仕込み作業の時間など考えると、一般企業共働き世帯より収入は低くなるだろう。それでも自分の思うような店を作ってやっていくことに大きな魅力があるんだろうか。

 西荻窪の街をまだじっくりとは見れてないけど、個人店がすごく多い。経営されている方々は収入の多寡以外の楽しさや何かがあって店をやっているんだと思う。それを知りたい。お金以外の価値をもっと知りたい。

カムカムのジョーすごい

 こんにちは。40無職です。

 毎日子供の相手しながら家事して暮らしてます。お昼ご飯の後にカムカムエヴリバディを観るのが一番の楽しみです。カムカムにオダギリジョー演じる大月錠一郎(通称ジョー)という男が出てきます。ヒロインの深津絵里演じる「るい」の旦那さんです。元々将来有望なジャズトランペッターとして登場し、レコード会社に認められ東京でレコーディングしている中で精神的な問題なのか徐々にトラペットが吹けなくなり、失意の中帰阪。死にそうになってるところを深津絵里があたしがあんたを食わしたる!!という感じで結婚しました。その後深津絵里とジョーは京都へ移り住み、回転焼きの店を始めます。(回転焼きは関東では今川焼きといいます。)で、このオダギリジョーが何にもできない。回転焼きの生地を捏ねるどころか小麦粉も上手く入れられない。買い出しも出来ない。店番できない。自転車にも乗れない。(後に努力して乗れるようになる。)家事も料理もできないっぽい。結果、家のことも仕事もせず子供と一緒に遊んで暮らしています。でも深津絵里もジョーも満足そうです。

 俺は自分にいま収入が無いことで色んなことを想像して勝手に引け目を感じていたわけなんだけど、オダギリジョーを見ていたら何にも駄目なこと無いのかもしれない、と思えてきた。ジョーは子供の相手だけは一日中しているので、それだって深津絵里は助かるし立派な仕事だ。

 収入が無いのってそんなに駄目なことか。いかに効率よく自分の時間をお金に変えるかを競ってきた。家事や育児はお金を生まない。でも価値はある。ジョーは家事できないし、育児といっても子供と遊んでるだけ。いつもヒッピーみたいな格好してる。それでもいいんだ。

 というわけで俺は家事育児をしながら、自分が培ってきた価値観を点検してみようと思っています。ジョーの生き方を一時見習ってみようと思っています。

40にして無職に

 この数ヶ月で色んなことがあって、気が付いたら西荻窪の外れで40にして初めての無職を経験している。しかも俺は結婚していて子供もいる男だ。これからどうやって生きていくのか分からないし、話す相手もいないので文章にしようと思いついた。そういえば数年前にはてなブログにアカウント作ってクソみたいな記事いくつか書いたなと思い出し、それをリサイクルすることにした。

 去年の今頃、会社を辞めたんだ。16年ぐらい働いた。会社にも仕事にも関心は失ってたし、正直会社については不快感でいっぱいだった。都内からも出たかった。興味のあった林業について数年調べ続けていて、神奈川で手厚い教育を受けられることも知っていたので、嫁と話した上で神奈川の端(小田原の辺り)に移住した。嫁は仕事がコロナ以降完全リモートになっていたので多少遠方への転居も可能だった。去年は春から林業研修に参加していた。大変だったけど、体力づくりを事前にしていたし、面白い仕事内容だった。そして研修終盤の合同面接会で関心のあった会社をいくつか受けて、無事内定もらって就職が決まった。

 就職を取り止めた。理由は色々ある。嫁との関係が悪くなっていた。いざ田舎へ来てみると問題が多かった。嫁は都内の友達との交流が必須だった。美容室や整体とか田舎へ行っても都内のサービスを求め続けた。全く田舎に生活を移せなかった。でも、俺は嫁の吐け口にもなれなかった。俺は研修と育児が生活の中心になっていたが、それプラス嫁の相手はキツかった。嫁は俺とは違って色んな人と繋がって生きる人だった。多分これが一番大きな理由だ。

 嫁については都内の友達や家族、仕事仲間と遊んで息抜きをしてもらうことが必要で、俺はその代わりは全くできない。就職したら何年も同じ環境にいることになる。家族は必ず崩壊すると思った。嫁と話をした上で、内定を辞退し都内へ戻ることにした。

 都内へ戻る上で、生活費の心配から家賃の安いある程度郊外の物件をと思った。国立とか国分寺とか立川とか。でも嫁が気に入ったのは西荻窪の物件。家賃は安くはない。ちなみに小田原へ行く前も家族で杉並に住んでいた。

 俺は無職で、家事と育児をしながら日々過ごしている。だから専業主夫ではある。何か仕事をと思ってはいるが、急なことだったので、いまやりたいことは無い。

 これからどうやって生きていくのか考えながら、思いついたことを書いていこうと思います。

よろしく。